2009年6月23日火曜日

中里融司先生の告別式

府中の高安寺での告別式に参加してきました。

もう本人を見てしまうと、認めざるを得ない感じです。

満足そうに笑っているんです……。

今までの人生には確かに満足していたのかもしれません。

でも、まだ今後にもどんどん発表したい作品があったことでしょう。

やせ細ったお顔が痛々しかったのですが、秋の温泉OFFで紹介する予定だった子供の写真を見ていただきました。

ご生前に紹介したかったものです……。



 

私は以前に比べて「死」というものが怖くなくなりました。

あくまで「以前と比べて」であり、絶対的に「死」が怖いものだという事実はかわりません。

これは、私が今までそれなりに幸せに生きてこれたということなのでしょう。

やりたいことやれている達成感、そしてそれ以外にもさまざまな要素が、人生に対する満足感を与えてくれる。

それにより、「死」という終着がそれほど怖くなくなるのかもしれません。

 

よく宗教で「無欲」が尊ばれたりしますが、こう考えると「無欲になる」、もしくは「欲望を抑える」ということは、人生の満足度をあげてくれるということです。

つまり、「無欲」になることで「死」の恐怖が弱くなるのでしょう。

しかし、普通の人はそんな悟りは開けません。

それに「欲」がなければ人は生きていけないと思っています。

だから、「無欲になる」というのは、本当に「欲」をなくすのではなく、「強い執着を捨てる」ということなんだと考えています。

 

ならば、欲は捨てられない。

しかし、死は訪れます。

しかも、いつ来るかわかりません。

明日、はたまた十年後?

 

だから、いつ死んでも少しでも悔いが残らないように、毎日を生きなければならないのでしょう。

一期一会という言葉がありますが、これは人だけではなく、物事に、時間にすべてのことに対する心構えなのかもしれません。

私は最初に友人の死にぶつかり、そこからこのようなことを考えていましたが、とても自分の人生でその考えを実行できていたとは思えません。

 

しかし、きっと中里さんは、物事や時間を大切にして、全力で生きていたような気がします。

そして、「死」をむやみに畏れず、真っ正面からぶつかっていったような気がしています。

前回の温泉OFFに私は参加しませんでしたが、参加者の話だと本人から「最後の参加になるかもしれない」という言葉を聞かされていたようです。

つまり、ご自分の終着を感じていたのでしょう。

しかし、それで慌てるでもなく、いつもどおりmixiで日記を書き続け、作品も書き続け、まるで今までと変わらずに活動してきた中里さん。

それはきっと、いつもが全力で、物事すべて一期一会で生きてきた人生の証だったような気がしています。

 

だから、今はゆっくり安らかに眠ってください……。

 

 

追記:中里さんへ

私の小説のネタで助言していただいたネタ。

告別式で誓ったとおり、使わせていただいて必ず形に致します。

できあがったら、ぜひ酷評くださいませ。


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