2009年6月30日火曜日

芳賀家史上、最大の衝動買い!? ~その壱~

最近、鬱になったり、モチベーションがいろいろと上がらなかったりな生活をしている私。

FFXIなんかも惰性でやっている感じが出てきて、イベントに参加する以外はなんとなくいつやめてもいいかなみたいなモチベーションになっています。

そのわりに、なんか一生懸命モチベーションあげて明るく楽しそうにやっている自分がいて、なんでそんなことしているんだろうと疲れた目で自分を見たりして……。

そう。

要するに精神的につかれていたのかもしれません。

リアルでいろいろと考えること、心配事が出てきたためなのでしょう。

 

さて。

前置きはこのぐらいにして、タイトルの衝動買いって一体なにを買ったんだ?……という話なのですが。



 

実は、マイホームを買うことになりました!

 

もちろん、ゲームの中の話ではなく、リアルな土地と建物。

つまり数千万クラスの衝動買いに挑戦しました……が、もちろんこのクラスになるとそんなに話は簡単でありませんでした(笑)。

実際、まだ正確には購入していません。

 

実は今、住んでいるところは短期契約の借家なので、7月には出て行かなければならなかったのです。

しかし、大家さんが呑気なのか忘れていたのか、6ヶ月前にださなければならない契約終了の告知をすっかりだしてこなかったのです……が、それはともかく、どちらにしても家を出なければなりません。

 

そこで、次の借家を探そうかと思っていたのですが、ここに来て栞御前が「家を買いたい」と主張しはじめたのです。

そりゃあ、私も欲しいですよ。

そろそろ引っ越し生活をやめて、一カ所で落ちつきたい。

しかし、私をよく知っている人はわかると思いますが、私は家を買えるような身分ではないわけです。

予算、社会的信用、そして年齢もきつくなっています。

だから、私個人はもう家を無理して買う必要もなく、このまま家を借りて暮らせばいいかなと思っていました。

そのため、貯金もあまりせず、毎日を楽しく過ごせればいいやと、刹那的に生きてきました(笑)。

 

でも、反して御前はなんかあきらめきれない様子。

まあ、夢を見るだけでもいいか……みたいなノリで、なんとなく見つけた条件が良さそうな中古物件を見に、とある不動産屋に行ってみたのです。

もちろん、「どうせ買うことなんてできないだろう」と。

そして買えなければ、御前もあきらめるだろうと。

 

しかし、その先には予想外の展開が待っていたのです!

 

最初に尋ねた不動産屋。

その不動産屋こそが、予想外の要因でした。

このやばい不動産屋にあわなければ、きっと今の流れはなかったことでしょう。

この時に、運命の歯車が回り始め……いや、狂いはじめたのかもしれません……。

 

(つづく)


2009年6月23日火曜日

中里融司先生の告別式

府中の高安寺での告別式に参加してきました。

もう本人を見てしまうと、認めざるを得ない感じです。

満足そうに笑っているんです……。

今までの人生には確かに満足していたのかもしれません。

でも、まだ今後にもどんどん発表したい作品があったことでしょう。

やせ細ったお顔が痛々しかったのですが、秋の温泉OFFで紹介する予定だった子供の写真を見ていただきました。

ご生前に紹介したかったものです……。



 

私は以前に比べて「死」というものが怖くなくなりました。

あくまで「以前と比べて」であり、絶対的に「死」が怖いものだという事実はかわりません。

これは、私が今までそれなりに幸せに生きてこれたということなのでしょう。

やりたいことやれている達成感、そしてそれ以外にもさまざまな要素が、人生に対する満足感を与えてくれる。

それにより、「死」という終着がそれほど怖くなくなるのかもしれません。

 

よく宗教で「無欲」が尊ばれたりしますが、こう考えると「無欲になる」、もしくは「欲望を抑える」ということは、人生の満足度をあげてくれるということです。

つまり、「無欲」になることで「死」の恐怖が弱くなるのでしょう。

しかし、普通の人はそんな悟りは開けません。

それに「欲」がなければ人は生きていけないと思っています。

だから、「無欲になる」というのは、本当に「欲」をなくすのではなく、「強い執着を捨てる」ということなんだと考えています。

 

ならば、欲は捨てられない。

しかし、死は訪れます。

しかも、いつ来るかわかりません。

明日、はたまた十年後?

 

だから、いつ死んでも少しでも悔いが残らないように、毎日を生きなければならないのでしょう。

一期一会という言葉がありますが、これは人だけではなく、物事に、時間にすべてのことに対する心構えなのかもしれません。

私は最初に友人の死にぶつかり、そこからこのようなことを考えていましたが、とても自分の人生でその考えを実行できていたとは思えません。

 

しかし、きっと中里さんは、物事や時間を大切にして、全力で生きていたような気がします。

そして、「死」をむやみに畏れず、真っ正面からぶつかっていったような気がしています。

前回の温泉OFFに私は参加しませんでしたが、参加者の話だと本人から「最後の参加になるかもしれない」という言葉を聞かされていたようです。

つまり、ご自分の終着を感じていたのでしょう。

しかし、それで慌てるでもなく、いつもどおりmixiで日記を書き続け、作品も書き続け、まるで今までと変わらずに活動してきた中里さん。

それはきっと、いつもが全力で、物事すべて一期一会で生きてきた人生の証だったような気がしています。

 

だから、今はゆっくり安らかに眠ってください……。

 

 

追記:中里さんへ

私の小説のネタで助言していただいたネタ。

告別式で誓ったとおり、使わせていただいて必ず形に致します。

できあがったら、ぜひ酷評くださいませ。


2009年6月22日月曜日

私には鬱期という造語があります

はっきり言って、かなりの割合で愚痴です。



 

ここしばらく、ブルーになるイベントが定期的に起きています。

そのためか、実はちょっと鬱期(造語:ストレスがたまるとくる鬱の期間)に入っています。

もっとも直近ならばもちろん、中里さんの死去。

古炉奈の閉店、ある重要な審査での失格、ちょっとした夢の絶望、知人とのもめ事や不満、失望感、心配事……細かいことから大きいことまでいろいろと積み重なっています。

この手は積み重なると怖いもので、知らず知らずのうちに心を蝕んだりします。

そのことに気がつかない人は、鬱病になったり、そこまでいかなくとも妙に機嫌が悪くなったり、いろいろな症状が出てくるのでしょう。

 

自分で言うのもなんですが、私の場合はけっこう鬱期に対して自覚があります。

自己啓発は好きなので、たまに自分を観察することで発見できるのです。

それでもやはり感情は、なかなかコントロールできません。

大人になりきれていないのでしょう。

 

鬱期にはいると、とにかくマイナス思考ですね。

普段は気にならない言動が非常に気にかかります。

こいつは私を嫌っているのではないかとか、認められていないのではないか、仲間はずれにされているのではないか……などまずは自分を貶めてしまいます。

また、攻撃的にもなっていて、こいつはどうしてこんなにバカなんだ、わがままなんだ、だらしないんだ……などと強く思ったりもしてしまいます。

とにかく、なにもかもが気に入らなくなります。

 

じゃあ、どうするかといえば、嫌なことはさらっと流すのが一番です。

大したことじゃないと思うことです。思考をかなり意図的に楽観的にするわけです。

また、感情をはき出す前に一呼吸置く。

そして、なるべく楽しいことや夢中になれることがっつりとやる。

漫画やゲームをやりまくったり、おいし物を食べに行ったり、今まで行ったことのない場所に行ってみたり。

 

ところで、意図的に楽観的にすると上に書きましたが、実際にそれは難しいでしょう。

そこで私は、なるべく心を静めて平気な振りをするようにしています。

平気な振り……なんて我慢することで、ストレスによってよけい鬱になるのではないかと思われがちですが、そうではなく「平気だ」と自分に暗示をかけるようにし、感情レベルではなく性格レベルの変革を狙ってしまうのです。

それこそ無意識のストレスさえたまらないぐらい、心底「平気だ」と思える自分にしてしまう。

嘘から出た誠ではありませんが、いつしか自分に着いていた嘘が本当になる……かもしれません。

 

鬱期は誰でもなるもの。ならないという人でも単に気がつかないだけだと思います。

それが浅いか深いか、短いか長いか、周期が近いか遠いかの違いじゃないでしょうか。

鬱期の原因と戦うことは大事ですが、たまに逃げることも大事です。

戦ってばかりでいると、それ自体がストレスになります。

緩急をつけて挑むこと。

何事もバランスなのでしょう。

 

ああ、本当に駄文ですね、これ。

最近、私は鬱期なので自分の周りのなにもかもが気に入らなくなることがあります。

すべて放り出して逃げたくなります。

やけを起こしたくなるわけですね。

これが悪化すると、連続殺人とか犯したりするかもしれません。

どうでもいいや……と。たまにそんな心理が理解できたりします。

もちろん、理解できるだけで同調はしませんが(笑)。

 

でも、さっき書いたとおり、適度にどうでもいいやと逃げる=問題を放置するのも手だと考えてはいます。

問題の中でも小さな物から、少し身をひいて放置ぎみに逃げてみましょう。

新たな解決策が見つかるかもしれません。

 

ふう。

私の鬱期はもう明けるかな……。


2009年6月19日金曜日

訃報:中里融司先生

多くのマイミクさんが書いていたので本当なのでしょう。

とても信じられない想いです。

 

毎年、温泉OFFで楽しそうに小説の話を語る中里さん。

クリエイターとしてよくいるちょっと変わった雰囲気のある方でしたが、本当にいい人でした。また、非常に多くの知識を頭の中の引き出しできれいに整理していて、必要なときにひょいひょいと出してくる、衰えを知らない若さあふれるパワーを持つ頭脳にいつも驚嘆していました。

まだまだ多くのネタを温めていて、書きかけの作品もあったことでしょう。

体調が悪いという話もちらほらと聞きましたが、きっとあのパワーでこれからも元気に書き続けるものだと、まったく疑いもせずに信じていました。

時代劇ものをあまり読まない私なのに、中里さんのやつはおもしろく読ませていただいていたんですよね。

その続きも待っていたんですよ……。

 

しかし、本当に突然すぎて信じられません。

6/18は月無氏の誕生日で、お祝いに呑んで楽しい気分で帰ってきたら、こんな事になっていたとは。

今度の温泉OFFで、うちの子の紹介もしようとしていたのに。

信じられなさすぎて、ご冥福を心からお祈り申し上げます……とも言いたくない気分です。



2009年6月13日土曜日

我が家のブームは、ワンピース?


ワンピースを結局、全巻集めてしまったのですが、おかげでうちではちょっとしたワンピースブームです。


家族全員で最初から読み直しています。


 


しかし、改めて読み直してみると本当にすごい漫画です。


非常によく練られていて、設定なども良くできています。


そして、その活かし方がうまく、伏線があちこちに生き生きと張られています。


 


あ、こっから以下は、単行本を読んでいない人にはネタバレかもしれません。


ちなみに私は雑誌をリアルタイムでは読んでいないので、そっちの内容は逆に知りません。



 


さて。ワンピースの伏線の話。


そこらの普通の作品だと、伏線は物語全体のナゾの(全体の起承転結の転にあたる)大きな伏線と、直後のイベントに対する細かい伏線程度しかありません。


それに対して、ワンピースには非常に多くの中ぐらいの伏線があるのです。


たとえば、A編、B編、C編、D編と話が続いていったとき、A編ではB編の伏線を張り、B編ではC編の伏線を張るように細かい伏線は、だいたいどの作品でも貼ります。


しかし、細かい伏線は浅く見えてしまい、まるでとってつけたように感じてしまいます。


せいぜい、もう少し大きくなってもA編の伏線をC編に使う程度のことでしょう。


しかし、ワンピースの構成は、A編、B編、C編でそれぞれ張った伏線をD編で使ったり、A編、C編での伏線をずっと先のG編で使用したり、それらを複合的に利用したりと、非常に中ぐらいの長さの伏線がこまめに張ってあるのです。


 


54巻までの中でも、たとえばまだ解決されていない中ぐらいの伏線はいくつもあります。


たとえば、エースとルフィの幼い頃の師匠(じいちゃんの友達)、ルフィに家族に関係ある名前の「ダダン」、黒髭や過去にロビンを助けた巨人の名前にある「D」系譜、海軍のどう考えたって技術が凄すぎる天才科学者、その他諸々......伏線としてはられているもので、未だに使いきられていない物はたくさんあります。


 


さらにおもしろいのが、表紙漫画です。


表紙では外伝的に、今まで出てきたキャラクター立ちのその後の話が語られていますが、その表紙漫画の話はしっかりと本編に結びついています。


さらにそれだけではなく、本編では語られなかったようなことがいろいろと語られたりしています。


 


たとえば、表紙漫画を読むと次のような設定が想像できてしまいます。


 



そもそも「世界貴族」というのは、月に住んでいた宇宙人(もしくは月に移住した地球人)の末裔である。


900年前に月の地下都市に住んでいた宇宙人たちが、資源が枯渇したために地球に降りてきたのだ。


だから、世界貴族は宇宙服みたいなかっこをしている。


もしかしたら、空島の住人たちも末裔かなにかかもしれない。何かしらの関係はありそうだ。


だとすれば、100年空白の歴史にあったのは、宇宙人からの侵略戦争である。


伝説に残る古代兵器は、対宇宙人用の兵器だったのかもしれない。


悪魔の実も、もしかしたら宇宙人のバイオテクノロジーの産物かもしれない。


そういった科学力を引き継いでいるからこそ、海軍の学者の技術は500年は先を進んでいると言われるのかもしれない。


そう考えていくと、ワンピースとは......。


 


表紙漫画の力でここまで想像力を刺激してくれます。


 


冒険もので、SFの香りを漂わせた、テンポのいいギャグのあるファンタジー漫画のワンピース。


たまに戦闘が長すぎてうざかったり、ちょっと寄り道長すぎるみたいな部分もありますが、全体としてはかなりの構成力です。


それになんと言っても、感動や「かっこよさ」というのをこの作者はよくわかっている気がします。


とくに「かっこよく見せる」というところでは、他の追従を許さない力があります。


それはポーズ(行動)であったり、台詞であったりしますが、特にやはり秀逸なのはルフィの台詞回し。


 


たとえば、ナミ編の時の決めぜりふの一つが、「あたりまえだ!」。こんな台詞が非常にかっこよく響いています。


また、チョッパーを仲間に誘うときの台詞。


心に傷があるチョッパーをどう誘うかというシーンで、他の主人公キャラクターたちならば、きっといろいろと気の利いたことを言ったのでしょう。


たぶん、私が物語を書くにしても、同じシーンならば何か語らせてしまったと思います。


しかし、ルフィの台詞は「うるせぇ! 行こう!」です。


なにも考えていない台詞ですが、作者はきっと考えた(もしくはルフィがルフィとして動いた)台詞なのでしょう。


下手に語らすよりも、二枚目でもなんでもないルフィをかっこよく見せてくれます。


 


たぶん、ここしばらくの少年漫画では、飛び抜けた力を持つ漫画の一つだと思っています。


これからも楽しみにしています。


2009年6月12日金曜日

ファイナルファンタジーXI ストーリー アルティマニア

ちょっとおもしろそうな本が売っているというので買ってみることにしました。

FFXIのミッションやクエストのストーリーが解説してある本らしいです。

 

FFXIの公式設定資料集というのが出たときに知らずにいて、あとで欲しくなったのだが、時既に遅し。

今では中古しか手に入りません。

再版してくれないかな……と思いながら、FFXI用語辞典を眺めて、購入できなかったことを後悔していました。

もしかしたら、この本は大したものではないかもしれませんが、とりあえずは後悔しないように購入だけはしておくことにしました。

 

Amazonで購入したのでまだ内容を見ていないのですが、すでに忘れたクエスト、まだやっていないクエストだけではなく、長すぎて内容を忘れたミッションや意味がわからないイベントなど、スクリーンショットや台詞も掲載されて説明されていると嬉しいんですけどね。

 

「アルタナの神兵」がまだ完成していないので、内容的にはまだ中途半端かもしれませんが、それでもここまでを振り返るには良いかもしれません。

それにこれを読むことで、クエストやミッションへのモチベーションがあがるかもしれません。

 

……まあ、やる時間があるかどうかは別問題なんですけどねァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、



2009年6月3日水曜日

てぐら、きた!!

NVIDIA Tegraベースのネットブック elan、重さ836gでHD動画10時間再生



 

最初の発表から、ずっと待っていたTegraを使った実機が発表されはじめました。

Snapdragonも魅力的だったのですが、なんか次元が違うTegraが気になって仕方ありませんでした。

Tegraのスマートフォンが欲しかったのですが、このNotebookもずいぶんと魅力的です。

本当に胸ポケットに入るぐらいのNotebook型端末が欲しいなぁ。

typePの半分ぐらいのサイズで出してくれたら、迷わず買うことでしょう。

もし、au以外の携帯電話ベンダーから発売したら、MNPも辞さないか覚悟です!(笑)

Windows Mobileを載せたTegraもでるでしょうから、本当に楽しみです。

 

追記

この記事は古炉奈で書いています。

やっぱりここのダッチ珈琲はうまいね。


2009年6月2日火曜日

想い出の古炉奈

初めて、秋葉原の古炉奈(当時の名称は、「コロナ」)という喫茶店に行ったのは、小学校か中学校の頃頃だと思います。
その頃の私にとっては、高い店。だからもちろん一人ではいるわけもなく、もっぱら父や家族との待ち合わせの場所でした。
高校生になってからも、秋葉原に行くと、古炉奈へよく珈琲を飲みに行っていました。
というより、友達と買い物帰りによって、お喋りを楽しむための場所だったのかもしれません。
それは当時の私にとって、ちょっとした贅沢でした。
高校卒業後、秋葉原で働くようになると、前にも増して立ち寄るようになりました。
仕事の帰りに、多いとききには6~7人でよったりして、仕事の話や趣味の話で盛り上がりました。
その他にも、友達と相談ごとをしたり、デートに使ったり、OFF会にも使ったりしました。
とにかく、私の一生の中で最も想い出ぶかく、最も関わりぶかい喫茶店だといえます。

 

その喫茶店がなんと閉店するという話を聞いて、いてもたてもいられず、とにかくいかなければと思い、先週末にランチを食べに行って来ました。




実は、最近は古炉奈に行っていませんでした。
というより、秋葉原に行くこと自体が少なくなっていました。せいぜいヨドアキで買い物をすませて、すぐに帰るぐらいです。

 

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しかし、なんと古炉奈の店員さんは、私の顔を覚えていてくれたのです。

 

入店後、こちらを妙に見るなと思ったら、「前によくいらしゃっていましたよね」と声をかけて下さったのです。今まで特に店員さんとお喋りをしたわけでもなく、本当にただよくくるだけの客だったのです。
しかも、しばらくぶりだというのに、覚えていてくれたというのは嬉しいものですね。
ただ、店員さんが話してくれたのは、悲しくもやはり閉店のお知らせでしたけど……。

 

古炉奈は、秋葉原に通ったことがある人ならば知らない人はいないぐらいの名店です。

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上にも書きましたが、私もよくお喋りで長い時間居座らせてもらいました。が、マナーさえまもれば嫌な顔もせずに水をすすめ、対応してくれます。
食器の片付けも、もちろん飲み物分だけ残し、あまり急かした雰囲気をだしません。
とにかく、まったりと過ごせるのです。

 

そして、なんと言っても、きちんといれてくれる本格派の珈琲。
秋葉原にはたくさんの店ができましたが、古炉奈のような本格派の喫茶店はまだないでしょう。

特にここのダッチ珈琲は最高です。

 

古炉奈自慢の「水立珈琲」について

水立珈琲はダッチコーヒーと呼ばれ、名前の通りオランダ人が開発したコーヒーの飲み方です。
由来は昔、オランダの東インド会社の地下倉庫で、保管していたコーヒー豆をうっかりすべて水浸しにしてしまった時に、たまたまコーヒー豆を入れていた水瓶の上澄み液を沸かして飲んだら、香りが良く味もまろやかだったので、この飲み方が開発されたそうです。
コーヒーを水でいれると、タンニンが出ないので渋みや苦みが抑えられ、しかも香りが豊かになります。
しかし水でいれるためには時間がかかり、古炉奈では一晩かけてやっと12杯程度の水出しコーヒーを抽出しています。
毎日、すぐに売り切れてしまう限定メニューですが、もし出会った時はぜひお試しください。


また、珈琲だけでなく、ここのカレーも名物です。

特にポークカレー。
会社の帰り道、ちょっと珈琲を飲んでお喋りをするだけのつもりが、漂ってくるカレーの香りに負けて何度注文してしまった事でしょう。

 

古炉奈は昭和の秋葉原とともに歩み、平成の変異していった秋葉原を見守ってきた名店だと思っています。
閉店の理由は、聞いていません。
マスターもいいお年ですから、もしかしたら引退ということなのかもしれません。
または、時代の変化に伴う淘汰の結果なのかもしれません。
しかし、もし淘汰だと言うなら、もっと他に淘汰されるべきものがあったのではないかと思えてしかたありません。
私の主観でしかありませんが、時代を語る継ぐ本当にいいものは、長く残ってもらいたいものですね。

 

追記
閉店まで半月。
火曜日と木曜日ぐらいしかいけませんが、なるべく古炉奈に通うつもりです。


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